親の罪

秋葉原の事件においては、被害者の方々には本当に気の毒だ。自分だってあの時あの場所に行ってたかもしれない可能性は大きいわけで、『自分があの場にいた』場合を想像すると無差別と云うのは本当に怖いし許せない事だと思う。

だが、犯人の置かれた環境にはある程度同情できる部分はある。彼の育った環境かな。同情出来るなんて言うとあたかも彼の無差別殺人と言う行動を肯定してるように取って怒(いか)る人もおられるだろうが、あくまでもやった事に対しては肯定はしない、勿論。

親のエゴで苦しんでいる人間を私は数人知っている。酷い人はいまだにやはり社会に溶け込めないでいる。勿論友人も出来ないし職にも就けないでいる。犯人がまだ救われていたのは職に就けた経験があるってことかな?
私の知る中で共通しているのは親が他人に対して自分の子供を自慢する。子供を自分の理想に無理矢理はめ込もうとし、無理だと判るといきなりそっぽを向く、またはある程度の年齢になって反抗的になり手に負えなくなると今度はいきなり何でも有りの甘やかし作戦(ある意味放置?)になる。
親が子供を褒めるのは、本人にのみ対しては良い事だと思う。だが、子供の力量以上のことを誇張して他人に自慢したり、褒めるばかりで悪いことは叱らないとなるとそれはおかしくなるよね。親にしたら『(何でも)良く出来ました』『こんな事も出来て凄い!』だけど、他人にしたら別にそうでもない事もあるし、逆に迷惑をかけてる場合だってある。それでいじめにあうケースもあり、本人は苦しんでるのだ。昔の良き日本人なら特に
「自分の身内を他人の前で褒めるのは恥ずかしいこと」という傾向があったと思うのだが。
さて、私はその古い日本の親に育てられてきたので、自分の子供を褒めてくる人には感心しません。

親の思い通りの成績を取らない、行動を取らないと暴言と力で押さえつけて来た親も知っている。彼は今も人付き合いがうまく出来ないし、親のちょっとした言葉にびくびくしている。
私が知ってる中の、社会に出れてる人だって、いまだにやはり何処か苦しんでる人はいるのだ。

私は幸せにも、そんな親には育てられていないが、そういった親って何かもっと社会としてできないものかと私は最近考えているのね!ある意味、自分がエゴで育てた子供が事件を起す、もしくは独立できない等々で結局は自分に返ってきてるのだろうが、本人の苦しみは継続されるわけで、そんな風にしてしまった親の罪って大きいと思うのよ。何かできないのだろうか?身近でも親によって傷つき、今も苦しんでいる人間を見ている私はそう思うのだ。

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